真実の歴史:第3章

YASKA

ソース:https://yaska.moo.jp/dai3syousinnjitunorekisi.html

縄文の真実

縄文の真実

縄文時代の期間

縄文時代の期間

縄文時代の期間

草創期:16,500年前~11,500年前
早期:11,500年前~ 7,000年前
前期:7,000年前~ 5,500年前
中期:5,500年前~ 4,400年前
後期:4,400年前~ 3,200年前
後期:3,200~2,400年前
少なくとも 14,100年間

縄文時代は、縄文土器の出現とともに開始し、水田稲作の開始とともに弥生時代が開始すると考えると、16,500年前から2,400年前までとなるので、14,100年間が縄文時代の期間です。

これは見つかった縄文土器の一番古いものが16,500年前ということだけなので、実際の縄文の期間はこれよりもっと長いと考えられます。

縄文時代は、縄文土器の出現とともに開始し、水田稲作の開始とともに弥生時代が開始すると考えると、16,500年前から2,400年前までとなるので、14,100年間が縄文時代の期間です。

これは見つかった縄文土器の一番古いものが16,500年前ということだけなので、実際の縄文の期間はこれよりもっと長いと考えられます。

次元降下と主な出来事

次元降下と主な出来事

縄文という期間の長さに関する認識

縄文という期間の長さに関する認識

縄文と言う期間の長さの認識

西暦の期間: 2000年
縄文の期間: 14100年

縄文の期間は、西暦期間の7倍もあります。キリストが生まれてから現在までの歴史を7回以上回繰り返す程の長期間になります。

つまり、私達人類が或る程度認識出来ている期間(現在から縄文まで)において、私達はほとんどの期間を縄文で生きて来たのです。しかも後で記しますが、その縄文は大変平和な世界だったのです。

この認識を持つことが、日本人にとって最重要です。

西暦の期間: 2000年
縄文の期間: 14100年

縄文の期間は、西暦期間の7倍もあります。キリストが生まれてから現在までの歴史を7回以上回繰り返す程の長期間になります。

つまり、私達人類が或る程度認識出来ている期間(現在から縄文まで)において、私達はほとんどの期間を縄文で生きて来たのです。しかも後で記しますが、その縄文は大変平和な世界だったのです。

この認識を持つことが、日本人にとって最重要です。

古代の気候

古代の気候

石器・縄文時代の気候:気候変動に応じて陸地や海面が変化する

石器・縄文時代の気候:気候変動に応じて陸地や海面が変化する

間違い1:縄文人(日本民族)は日本列島3方から流入し混血して出来た民族

間違い1:縄文人(日本民族)は日本列島3方から流入し混血して出来た民族

真実:縄文人はレムリアからやって来た民族

日本の祖先:縄文人は大陸とは無関係の孤立的な民族

人の日本列島への流入は3つのルートからであるということで考古学の結論が出ているとのこと、そのルートとは左図の通り ①対馬ルート:朝鮮半島から対馬経由で北九州へ ②沖縄ルート:南方から北上 ③北海道ルート:大陸から樺太(サハリン)経由で

ところが最新の核DNA解析では右図に示す通り、縄文人は大陸とは別の1つの民族として塊を形成しています。上記の3つが混ざっている説は完全に否定されているのです。

この別の民族とはこれから解説するレムリア人のことです。

人の日本列島への流入は3つのルートからであるということで考古学の結論が出ているとのこと、そのルートとは左図の通り ①対馬ルート:朝鮮半島から対馬経由で北九州へ ②沖縄ルート:南方から北上 ③北海道ルート:大陸から樺太(サハリン)経由で

ところが最新の核DNA解析では右図に示す通り、縄文人は大陸とは別の1つの民族として塊を形成しています。上記の3つが混ざっている説は完全に否定されているのです。

この別の民族とはこれから解説するレムリア人のことです。

昔、古代アトランティス大陸が1つだけあり、アヌンナキが古代アトランティス文明を起こしていた

昔、大陸は1つの古代アトランティス大陸だけが存在し、ネガETのアヌンナキが地球人類を遺伝子劣化させて奴隷として支配する文明を構築していました。その世界は権力、争い、差別が蔓延するネガティブな世界でした。ネガETはネガティブ波動を好む故に、地球波動の分離性優位(ネガ)の地域に住んでいました。

地球人類の中でワンネスの民プレアデス人の性質を多く引き継ぐハプログループDE系統の人々にシリウス人が遺伝子操作を行い、大昔ゼータから移植した「ワンネス意識を強く出す YAP遺伝子」を復活させました。

彼らワンネスの子達はネガティブな世界では生きにくかったので、シリウス人が地球のワンネス波動の高い地域(レムリア地区)に移動し住まわせました。

アヌンナキはレムリア地区に住む人々のポジ波動が気に入らず目障りだったので、争いに持ち込むべく古代アトランティスの地球人類に武器の作り方を教え、実験させていました。

昔、大陸は1つの古代アトランティス大陸だけが存在し、ネガETのアヌンナキが地球人類を遺伝子劣化させて奴隷として支配する文明を構築していました。その世界は権力、争い、差別が蔓延するネガティブな世界でした。ネガETはネガティブ波動を好む故に、地球波動の分離性優位(ネガ)の地域に住んでいました。

地球人類の中でワンネスの民プレアデス人の性質を多く引き継ぐハプログループDE系統の人々にシリウス人が遺伝子操作を行い、大昔ゼータから移植した「ワンネス意識を強く出す YAP遺伝子」を復活させました。

彼らワンネスの子達はネガティブな世界では生きにくかったので、シリウス人が地球のワンネス波動の高い地域(レムリア地区)に移動し住まわせました。

アヌンナキはレムリア地区に住む人々のポジ波動が気に入らず目障りだったので、争いに持ち込むべく古代アトランティスの地球人類に武器の作り方を教え、実験させていました。

古代アトランティス大陸が分裂し、私達が知っているアトランティス/レムリア大陸が現れた

ある時、アヌンナキが開発した武器のテスト中に誤って地球に照射し、地球を破裂膨張させたことにより大陸が分裂し、現在の大陸の形になりました。その時にレムリア大陸・アトランティス大陸も出来ました。分裂時にアヌンナキはUFOで宇宙に避難し、レムリア地区にいた者達はシリウス人のUFOに救い上げられました。

分裂安定後、シリウス人はワンネスのエネルギーラインに近い大陸にレムリア地区人を下ろし、レムリア文明を作って行きました。その後に分離のエネルギーにある大陸にアヌンナキが戻り、再度アトランティス文明を作りました。

ある時、アヌンナキが開発した武器のテスト中に誤って地球に照射し、地球を破裂膨張させたことにより大陸が分裂し、現在の大陸の形になりました。その時にレムリア大陸・アトランティス大陸も出来ました。分裂時にアヌンナキはUFOで宇宙に避難し、レムリア地区にいた者達はシリウス人のUFOに救い上げられました。

分裂安定後、シリウス人はワンネスのエネルギーラインに近い大陸にレムリア地区人を下ろし、レムリア文明を作って行きました。その後に分離のエネルギーにある大陸にアヌンナキが戻り、再度アトランティス文明を作りました。

レムリアが消滅し、レムリア人の一部は日本に来て古代縄文人となった

アトランティス人は目障りなポジのレムリア人に戦争を仕掛け、大陸地下のガスチェンバーを爆破してレムリア大陸そのものを沈下消滅させました。

レムリア人の中の神官や知識人達は日本列島に逃れ、古代縄文人となって日本人の祖先になりました(ハプログループD系統を構成)。日本列島外に逃れた人達はユダヤ人の祖になった者達(ハプログループE系統を構成)です。

その後カルマの法則が働いてアトランティスも沈下消滅し、アトランティス人達は世界中に散って行くことになります。

古代縄文人はそれから14,100年もの長い間、争いの無いワンネス社会を構築して行きます。

アトランティス人は目障りなポジのレムリア人に戦争を仕掛け、大陸地下のガスチェンバーを爆破してレムリア大陸そのものを沈下消滅させました。

レムリア人の中の神官や知識人達は日本列島に逃れ、古代縄文人となって日本人の祖先になりました(ハプログループD系統を構成)。日本列島外に逃れた人達はユダヤ人の祖になった者達(ハプログループE系統を構成)です。

その後カルマの法則が働いてアトランティスも沈下消滅し、アトランティス人達は世界中に散って行くことになります。

古代縄文人はそれから14,100年もの長い間、争いの無いワンネス社会を構築して行きます。

間違い2:縄文人は原始的な狩猟民族

間違い2:縄文人は原始的な狩猟民族

真実:縄文人は世界最先進海洋民族

縄文人に関する間違ったイメージ

縄文人に関する間違ったイメージ

多くの人が持っている縄文人の間違ったイメージ

あなたは縄文人について「洞穴か竪穴式住居に住み、動物の狩猟を生業にする原始的な民族」「大きな石の貨幣を使っていた」などというような悪いイメージを持ってはいませんか?

そのほとんどはとんでもない偏見に満ちた間違いです。

竪穴式住居に住んでいたというのは間違ってはいませんが、住居の捉え方が間違っているのです。

これから縄文人の真の姿を知って頂きます。

あなたは縄文人について「洞穴か竪穴式住居に住み、動物の狩猟を生業にする原始的な民族」「大きな石の貨幣を使っていた」などというような悪いイメージを持ってはいませんか?

そのほとんどはとんでもない偏見に満ちた間違いです。

竪穴式住居に住んでいたというのは間違ってはいませんが、住居の捉え方が間違っているのです。

これから縄文人の真の姿を知って頂きます。

縄文人の特徴

縄文人の特徴

縄文人の特徴

縄文人
瞼:二重、顔:彫りが深い、鼻:高い、歯のかみ合わせ:上下の歯がぶつかり合う、唇:厚い、手足:長い、体毛:濃い、身長:平均162cm(男性の場合)

基本的にアイヌ人の特徴そのものです

縄文人

瞼:二重、顔:彫りが深い、鼻:高い、歯のかみ合わせ:上下の歯がぶつかり合う、唇:厚い、手足:長い、体毛:濃い、身長:平均162cm(男性の場合)

基本的にアイヌ人の特徴そのものです

縄文人は自然人

縄文人は自然人

縄文人の自然観

森羅万象を神とし、自分達の理屈をはさみこむことをしませんでした。人間が考えることよりも自然がなすところの普遍性のほうがはるかに優れており、自然に順応することが自分達にとって最良の選択だと悟っていたのです。それで人間の知恵よりも自然の霊知の方に価値観を置いていました。

そして彼らの全ての思考・行動基準の根っ子にあるものは「和」です。それで日本列島に来た渡来人を、和を持って貴しとなすの心で受け入れ同化することが出来たのです。

この縄文人の精神がDNAに書き込まれていたため、後において仏教や儒教が伝来してもそれに飲み込まれませんでしたし、アメリカに戦争で負けてもアメリカやキリスト教にのみこまれるようなことはありませんでした。

森羅万象を神とし、自分達の理屈をはさみこむことをしませんでした。人間が考えることよりも自然がなすところの普遍性のほうがはるかに優れており、自然に順応することが自分達にとって最良の選択だと悟っていたのです。それで人間の知恵よりも自然の霊知の方に価値観を置いていました。

そして彼らの全ての思考・行動基準の根っ子にあるものは「和」です。それで日本列島に来た渡来人を、和を持って貴しとなすの心で受け入れ同化することが出来たのです。

この縄文人の精神がDNAに書き込まれていたため、後において仏教や儒教が伝来してもそれに飲み込まれませんでしたし、アメリカに戦争で負けてもアメリカやキリスト教にのみこまれるようなことはありませんでした。

縄文人は超人

縄文人は超人

古代の縄文人は波動を理解していた

古代の縄文人はレムリア文明を受け継いで波動の理解も深い人達であり、次元も5次元程度でしたので、皆超能力を持っていました。そして色々なところで自然石の波動を借り、波動を増幅して使っていました。

会話においては、小さな石をスマホのように持ってテレパシー波動を増幅して会話を行っていました。

遠方への移動は高いエネルギーが必要であるため、ストーンサークルという大きい石を使いました。駅のようにストーンサークルからストーンサークルヘテレポーションしていました。

古代においてはUFOも保有しており、それは天浮舟として伝わっています。それで宇宙にも出ていました。しかしアトランティス崩壊によるノアの大洪水で世界文明が崩壊した後はそれらの技術も消えて行きましたが、精神文明は長く伝わりました。

古代の縄文人はレムリア文明を受け継いで波動の理解も深い人達であり、次元も5次元程度でしたので、皆超能力を持っていました。そして色々なところで自然石の波動を借り、波動を増幅して使っていました。

会話においては、小さな石をスマホのように持ってテレパシー波動を増幅して会話を行っていました。

遠方への移動は高いエネルギーが必要であるため、ストーンサークルという大きい石を使いました。駅のようにストーンサークルからストーンサークルヘテレポーションしていました。

古代においてはUFOも保有しており、それは天浮舟として伝わっています。それで宇宙にも出ていました。しかしアトランティス崩壊によるノアの大洪水で世界文明が崩壊した後はそれらの技術も消えて行きましたが、精神文明は長く伝わりました。

縄文人は平和を愛する民族

縄文人は平和を愛する民族

YAP遺伝子を有する縄文人は平和を愛する民族

9万ヶ所以上ある縄文遺跡からは対人用の武器が全く出土していません。矢じりや石斧や石包丁などが出土していますが、刃の部分は小さく長い柄が付いており、 戦闘では全く役に立たないものばかりです。

遺跡の人骨で、外傷によって亡くなったと思われる人骨はわずか1.3%であり、 それも矢が刺さったようなものは出土していません。要するに戦いで死んだ人はほとんどいないと考えられます。

平和であった理由はYAP遺伝子が大きな影響を与えていますが、その当時外敵がいなかったのも一つの要因でした。

9万ヶ所以上ある縄文遺跡からは対人用の武器が全く出土していません。矢じりや石斧や石包丁などが出土していますが、刃の部分は小さく長い柄が付いており、 戦闘では全く役に立たないものばかりです。

遺跡の人骨で、外傷によって亡くなったと思われる人骨はわずか1.3%であり、 それも矢が刺さったようなものは出土していません。要するに戦いで死んだ人はほとんどいないと考えられます。

平和であった理由はYAP遺伝子が大きな影響を与えていますが、その当時外敵がいなかったのも一つの要因でした。

縄文人は海人集団

縄文人は海人集団

縄文人の多くは海洋民族

山の幸や動物肉以外に、主たる食料は海から得ていました。貝塚が 2700ヶ所もあることから解るように、縄文人の多くは海の近くで生活した海人なのです。そして丸木舟を操作し、外洋の回遊魚やクジラまでも捕獲していました。

また北海道から沖縄まで、日本全土で交易をしていました。

さらには外国とも行き来するグローバル海洋民族でもありました。

山の幸や動物肉以外に、主たる食料は海から得ていました。貝塚が 2700ヶ所もあることから解るように、縄文人の多くは海の近くで生活した海人なのです。そして丸木舟を操作し、外洋の回遊魚やクジラまでも捕獲していました。

また北海道から沖縄まで、日本全土で交易をしていました。

さらには外国とも行き来するグローバル海洋民族でもありました。

入墨はサメ避け

入墨はサメ避け

入墨はサメ避け

縄文人は素潜り漁をしていましたが、サメに襲われる危険がありました。それを回避するために、全身に入墨をして潜っていました。魏志倭人伝にも「倭の水人も水中に潜るのに入墨をする」とあります。入墨の当初はサメ防止用として生まれたのです。その後は装飾的に変化を遂げて行きました。

また、彼らが使用していた神代文字をデザイン化し、それを身体に入れ墨して外洋に出ていったものが世界に拡まって行きました。

入墨はアラスカのエスキモーや太平洋沿岸の諸民族の間にも広く見られます。

縄文人は素潜り漁をしていましたが、サメに襲われる危険がありました。それを回避するために、全身に入墨をして潜っていました。魏志倭人伝にも「倭の水人も水中に潜るのに入墨をする」とあります。入墨の当初はサメ防止用として生まれたのです。その後は装飾的に変化を遂げて行きました。

また、彼らが使用していた神代文字をデザイン化し、それを身体に入れ墨して外洋に出ていったものが世界に拡まって行きました。

入墨はアラスカのエスキモーや太平洋沿岸の諸民族の間にも広く見られます。

縄文人は丸木舟を操り日本全域で交易していた

縄文人は丸木舟を操り日本全域で交易していた

北海道から沖縄まで、日本列島全域が縄文人の交易範囲

北の交易センター「三内丸山」

装飾用コハク原石、矢じり用黒曜石、接着剤用アスファルト、 腕輪用イモガイなど、日本中から海を通って三内丸山に集積されています。

黒曜石とヒスイの交易範囲

伊豆神津島産黒曜石は35,000年前に武蔵野台地の初期旧石器集落に多数運ばれており、これは世界最古の海上輸送の証拠となっています。

海流に逆らって広域の海上移動を行うにはイカダでは無理で、丸木舟が使われました

海流に逆らって広域の海上移動を行うにはイカダでは無理で、丸木舟が使われました

縄文人は外洋を行き来するグローバル集団

縄文人は外洋を行き来するグローバル集団

縄文人の海外への足跡

縄文人は世界に先駆けて刃部磨製石斧を発明していたので、木を切り倒し削って丸木舟を作る技術をいち早く手に入れました。丸木舟は洋上を筏よりも高速で移動出来るので、海流に逆らっての移動が可能になり、加えてこれもまた世界に先駆けて土器と言う水や食料を貯蔵する手段を発明していたので、いち早く遠洋航海が出来たのです。この時期遠洋航海をしていたのは縄文人だけ。後のエジプト人でさえまだ遠洋航海の技術は持っておらず地中海内の移動のみ、西欧人が遠洋に出たのは15世紀の大航海時代になってからです。

縄文人は世界に先駆けて刃部磨製石斧を発明していたので、木を切り倒し削って丸木舟を作る技術をいち早く手に入れました。丸木舟は洋上を筏よりも高速で移動出来るので、海流に逆らっての移動が可能になり、加えてこれもまた世界に先駆けて土器と言う水や食料を貯蔵する手段を発明していたので、いち早く遠洋航海が出来たのです。この時期遠洋航海をしていたのは縄文人だけ。後のエジプト人でさえまだ遠洋航海の技術は持っておらず地中海内の移動のみ、西欧人が遠洋に出たのは15世紀の大航海時代になってからです。

強制的に外洋に出ざるを得なかった縄文人もいた

強制的に外洋に出ざるを得なかった縄文人もいた

強制的に外へ出された縄文もいた

鹿児島県南部では早くから縄文文化が花開いていましたが、7300年前に、喜界カルデラ噴火が起こり、九州南部の人々が避難しました。多くは南の海洋に逃れ、他は日本列島各地に散らばることで南九州固有の縄文文化が各地に伝搬され、南九州で盛行した石斧や集落構造などが広まりました。日本列島の海を利用した交流と交易はこの時期を境に広まり、温暖化の海水位上昇に伴って更に発展しました。3000年前には既に双胴着装船や帆も利用されていたようです。10mを超える外洋船も見つかっています。

また、海外に難民として進出した者もいました。丁度この頃、メソポタミア南部でシュメール文明が始まっているのです。シュメール人は自分達の事を「ウミサンキタ」と呼んでいました。縄文人がシュメール文明を興したのか・・・。

鹿児島県南部では早くから縄文文化が花開いていましたが、7300年前に、喜界カルデラ噴火が起こり、九州南部の人々が避難しました。多くは南の海洋に逃れ、他は日本列島各地に散らばることで南九州固有の縄文文化が各地に伝搬され、南九州で盛行した石斧や集落構造などが広まりました。日本列島の海を利用した交流と交易はこの時期を境に広まり、温暖化の海水位上昇に伴って更に発展しました。3000年前には既に双胴着装船や帆も利用されていたようです。10mを超える外洋船も見つかっています。

また、海外に難民として進出した者もいました。丁度この頃、メソポタミア南部でシュメール文明が始まっているのです。シュメール人は自分達の事を「ウミサンキタ」と呼んでいました。縄文人がシュメール文明を興したのか・・・。

縄文人は屈強な人

縄文人は屈強な人

縄文人は頑強な人々

外洋を往来するためには強い力で漕いで海流を乗り切り、また長時間漕ぎ続けねばならなりません、その渡海を成功させた人々は相当強靭だったのです。 そして彼らは、大型のクジラやメカジキなどの巨大魚を丸木舟の上からモリを使って一日がかりの命がけの作業で捕らえ、それを素手で引き上げていました。そのようなことが出来たのも、頑強な体を持っていたからです。 後の、欧米列強との戦いにおいて、民族滅亡までかけてたたかったのはインディアンと日本だけ、アイヌも死を恐れず勇敢でした。彼らは皆縄文人の子孫なのです。

外洋を往来するためには強い力で漕いで海流を乗り切り、また長時間漕ぎ続けねばならなりません、その渡海を成功させた人々は相当強靭だったのです。 そして彼らは、大型のクジラやメカジキなどの巨大魚を丸木舟の上からモリを使って一日がかりの命がけの作業で捕らえ、それを素手で引き上げていました。そのようなことが出来たのも、頑強な体を持っていたからです。 後の、欧米列強との戦いにおいて、民族滅亡までかけてたたかったのはインディアンと日本だけ、アイヌも死を恐れず勇敢でした。彼らは皆縄文人の子孫なのです。

縄文遺跡の事例「三内丸山遺跡」

縄文遺跡の事例

「三内丸山遺跡」

三内丸山遺跡

5900~4200年前に遡る1700年間続いた合計500戸余の大規模な定住集落です。防御のための囲いが有りません。飲料用の水場と下水道の水場、共同作業を行う土器製造所、食べ物の加工所、中央に仲間の墓、祭司場があります。

特徴:

①大きい:東京ドーム7個分:計画的に「15m幅道路/住居(細長い建物・集会所か32m幅9.8m)/墓/倉庫/貯蔵穴/ゴミ捨て場」などが配置、台地の縁に大型掘立柱建物

②多い:出土物の量が膨大、青森県縄文遺跡全体の40年分の遺物が一つの遺跡から出た

③栗栽培をしていた

④交易をしていた:黒曜石は北海道や長野県霧ケ峰から、接着剤用アスファルトは秋田県から、 ヒスイは600km離れた新潟県糸魚川から、

5900~4200年前に遡る1700年間続いた合計500戸余の大規模な定住集落です。防御のための囲いが有りません。飲料用の水場と下水道の水場、共同作業を行う土器製造所、食べ物の加工所、中央に仲間の墓、祭司場があります。

特徴:

①大きい:東京ドーム7個分:計画的に「15m幅道路/住居(細長い建物・集会所か32m幅9.8m)/墓/倉庫/貯蔵穴/ゴミ捨て場」などが配置、台地の縁に大型掘立柱建物

②多い:出土物の量が膨大、青森県縄文遺跡全体の40年分の遺物が一つの遺跡から出た

③栗栽培をしていた

④交易をしていた:黒曜石は北海道や長野県霧ケ峰から、接着剤用アスファルトは秋田県から、 ヒスイは600km離れた新潟県糸魚川から、

⑧三内丸山遺跡

教科書に載っている縄文遺跡と言うと三内丸山遺跡ですが、1700年の長期に渡って続いたことと、膨大な出土品や大型の建造物などで特に有名です。

その特徴をじっくり見て頂きます。

教科書に載っている縄文遺跡と言うと三内丸山遺跡ですが、1700年の長期に渡って続いたことと、膨大な出土品や大型の建造物などで特に有名です。

その特徴をじっくり見て頂きます。

縄文人の食事

縄文人の食事

縄文人の食事

貝塚などの発掘調査で、1500種もの動植物を食べている世界一のグルメであることが解りました。その種類を大別すると

①貝:270種 ②魚:200種 ③哺乳類:20種 ④鳥:80種 ⑤海藻:90種

内容

穀類/豆類:アワ・ヒエ・キビ・うるち米・もち米・そば・えごま・緑豆・・・

野菜類:ごぼう・のびる・アブラナ・緑豆葉・えごま葉・サトイモ・えびいも・ ながいも・みょうが・しょうが・うど・たら・ふき・・・

果実類:クリ・クルミ・やまぶどう・木いちご・あけび・さるなし・またたび・・・

肉類:イノシシ・シカ・たぬき・クマ・きじ・かも・うずら・すずめ・つぐみ・くじら・イルカ・ ウサギ・ムササビ・カモ・・

魚介類:たい・ひらめ・あなご・めばる・まぐろ・かつお・えび・カニ・シャコ・マダイ・ブリ・ ヒラメ・はまぐり・あさり・かき・赤貝・わかめ・ひじき・こんぶ・天草・・・

関連情報

調味料:ひしお・塩・酢・魚醤・酒・山椒・蜂蜜・わさび・・・

調理法:ゆでる・焼く・煮る・炒る・蒸す・乾燥する・アクを抜く・でんぷんを取る・燻製・塩漬・酢漬け・粉に加工・発酵・・・

栽培:ヒョウタン・豆・えごま・ごぼう・栗・アワ・きび(大豆・小豆などの栽培が東日本で6~7000年前に開始)

虫歯:多い、味覚:5味に、うま味、渋みを加え、七味を認識していた

カロリー摂取:鳥浜貝塚での計算結果:40%:どんぐり等の堅果類、30%:魚や獣肉、20%以下:貝類(芋などは痕跡が残らないのでそれらを加えると、主食は植物性食料であった)

縄文クッキー:木の実から取ったでんぷんに獣肉などを混ぜて焼いたもの、通年の食料にしていた

貝塚などの発掘調査で、1500種もの動植物を食べている世界一のグルメであることが解りました。その種類を大別すると

①貝:270種 ②魚:200種 ③哺乳類:20種 ④鳥:80種 ⑤海藻:90種

内容

穀類/豆類:アワ・ヒエ・キビ・うるち米・もち米・そば・えごま・緑豆・・・

野菜類:ごぼう・のびる・アブラナ・緑豆葉・えごま葉・サトイモ・えびいも・ ながいも・みょうが・しょうが・うど・たら・ふき・・・

果実類:クリ・クルミ・やまぶどう・木いちご・あけび・さるなし・またたび・・・

肉類:イノシシ・シカ・たぬき・クマ・きじ・かも・うずら・すずめ・つぐみ・くじら・イルカ・ ウサギ・ムササビ・カモ・・

魚介類:たい・ひらめ・あなご・めばる・まぐろ・かつお・えび・カニ・シャコ・マダイ・ブリ・ ヒラメ・はまぐり・あさり・かき・赤貝・わかめ・ひじき・こんぶ・天草・・・

関連情報

調味料:ひしお・塩・酢・魚醤・酒・山椒・蜂蜜・わさび・・・

調理法:ゆでる・焼く・煮る・炒る・蒸す・乾燥する・アクを抜く・でんぷんを取る・燻製・塩漬・酢漬け・粉に加工・発酵・・・

栽培:ヒョウタン・豆・えごま・ごぼう・栗・アワ・きび(大豆・小豆などの栽培が東日本で6~7000年前に開始)

虫歯:多い、味覚:5味に、うま味、渋みを加え、七味を認識していた

カロリー摂取:鳥浜貝塚での計算結果:40%:どんぐり等の堅果類、30%:魚や獣肉、20%以下:貝類(芋などは痕跡が残らないのでそれらを加えると、主食は植物性食料であった)

縄文クッキー:木の実から取ったでんぷんに獣肉などを混ぜて焼いたもの、通年の食料にしていた

縄文人はオシャレ

縄文人はオシャレ

縄文女性はオシャレ

衣類は、麻糸で布を作り、鉄の顔料や赤土・黄土や炭で染めた。鹿などの毛皮を着ることもあり、靴も履いていました。

装飾品は、イヤリング/ネックレス/ブレスレット/かんざし/櫛など多種多様で、 ヒスイ/琥珀/骨/貝/石/木/などを使用し、櫛などは漆の朱塗りがされていました。

衣類の存在は、縄文土器を調べたところ布の繊維跡が付いていたことから解り、 遺跡の中から編み物も数多く見つかっています。

女性の人骨には全てに、イヤリング、ネックレス、ブレスレットといった装飾品が沢山付いており、縄文の女性はかなりオシャレであったことが解ります。

衣類は、麻糸で布を作り、鉄の顔料や赤土・黄土や炭で染めた。鹿などの毛皮を着ることもあり、靴も履いていました。

装飾品は、イヤリング/ネックレス/ブレスレット/かんざし/櫛など多種多様で、 ヒスイ/琥珀/骨/貝/石/木/などを使用し、櫛などは漆の朱塗りがされていました。

衣類の存在は、縄文土器を調べたところ布の繊維跡が付いていたことから解り、 遺跡の中から編み物も数多く見つかっています。

女性の人骨には全てに、イヤリング、ネックレス、ブレスレットといった装飾品が沢山付いており、縄文の女性はかなりオシャレであったことが解ります。

竪穴式住居は防寒住居

竪穴式住居は防寒住居

竪穴式住居

竪穴式住居の地面は深く掘って半地下にしています、例えば右図の大船遺跡のものは2.4mもの深さがあります。これは土の凍結深度よりも深く掘っておけば防寒になり、かつ屋根を萱のようなもので覆う程度でも隙間風を防ぐことが出来るという利点があります。

いずれにしても縄文人には、今のビルのような恒久的な住まいを作ろうという発想は無かった、自然のまま木や萱が朽ちるまで修繕を重ね、それ以上を望むこともしなかったのです。

そしてもう一つ重要なことは、この時代は次元が高かったので、彼らの想念で造ったものが3次元の我々の目に触れることは一切無いと言うことです。なので当時どれ程快適な生活をしていたのか、遺構からその真実を知る術はありません。

粗末にしか見えない遺構ですが、おそらく今の我々よりもはるかに快適な生活空間を作って楽しく暮らしていたのではないでしょうか。

竪穴式住居の地面は深く掘って半地下にしています、例えば右図の大船遺跡のものは2.4mもの深さがあります。これは土の凍結深度よりも深く掘っておけば防寒になり、かつ屋根を萱のようなもので覆う程度でも隙間風を防ぐことが出来るという利点があります。

いずれにしても縄文人には、今のビルのような恒久的な住まいを作ろうという発想は無かった、自然のまま木や萱が朽ちるまで修繕を重ね、それ以上を望むこともしなかったのです。

そしてもう一つ重要なことは、この時代は次元が高かったので、彼らの想念で造ったものが3次元の我々の目に触れることは一切無いと言うことです。なので当時どれ程快適な生活をしていたのか、遺構からその真実を知る術はありません。

粗末にしか見えない遺構ですが、おそらく今の我々よりもはるかに快適な生活空間を作って楽しく暮らしていたのではないでしょうか。

縄文人の道具

縄文人の道具

縄文の生活道具

石器、カゴ、ランプ、丸木舟、櫂(かい)、楽器(琴)(土笛)(石笛)、網、土偶、矢じり、土器、縫い針、モリ、釣り針

石器、カゴ、ランプ、丸木舟、櫂(かい)、楽器(琴)(土笛)(石笛)、網、土偶、矢じり、土器、縫い針、モリ、釣り針

間違い3:縄文文化は原始的文化

間違い3:縄文文化は原始的文化

真実:縄文は世界の先端を走っていた文明

日本から世界へ文明が拡がった

石器時代から縄文まで、日本の先進度は世界を圧倒している

遺跡を見る限り日本は世界よりも時代が圧倒的に進んでおり、出土品も圧倒的に古い、しかも多量に出土しているのせす。この事実を素直に見れば「文明は日本から世界へ伝搬して行った」と言う方がはるかに合理的説明が出来るのです。

遺跡を見る限り日本は世界よりも時代が圧倒的に進んでおり、出土品も圧倒的に古い、しかも多量に出土しているのせす。この事実を素直に見れば「文明は日本から世界へ伝搬して行った」と言う方がはるかに合理的説明が出来るのです。

土器や土偶は今でも世界トップクラスの美術品

土器や土偶は今でも世界トップクラスの美術品

縄文人は芸術家

遮光器土偶、火炎土器、デフォルメ土偶、神像筒型土器

縄文の土器や土偶は、今でも世界中から絶賛される程の高い芸術的感性を誇っています。その芸術性を感じ取った岡本太郎が、自ら調査研究をして美術誌に論文まで発表しました。

それ程、縄文土器や土偶の姿はとても魅力的であり、現代を超えた芸術的なセンスにあふれています。縄文人は原始的どころか私達の感性をはるかに超えた集団だったのです。

縄文の土器や土偶は、今でも世界中から絶賛される程の高い芸術的感性を誇っています。その芸術性を感じ取った岡本太郎が、自ら調査研究をして美術誌に論文まで発表しました。

それ程、縄文土器や土偶の姿はとても魅力的であり、現代を超えた芸術的なセンスにあふれています。縄文人は原始的どころか私達の感性をはるかに超えた集団だったのです。

⑨縄文の美

縄文土器や土偶は、現在の私達の芸術の域をはるかに超えた素晴らしいフォルムをしています。

今回はそれをじっくり見て頂くことにします。縄文人の感性の素晴らしさをご確認下さい。

縄文土器や土偶は、現在の私達の芸術の域をはるかに超えた素晴らしいフォルムをしています。

今回はそれをじっくり見て頂くことにします。縄文人の感性の素晴らしさをご確認下さい。

間違い4:漢字渡来まで文字は無かった

間違い4:漢字渡来まで文字は無かった

真実:神代文字を持っていたが口伝が主流であった

口伝の方が正確に伝えることが出来る

長期縄文文明でなぜ文字が定着しなかったのか。それは、文字記録よりも曲や振りを付けて全身を使って口伝で先祖の物語を伝え残した方が、細部まで残せるからなのです。古事記で文字起こしがされるまで、それ以前の先祖の物語は口承で守り伝えて来たのです。

アイヌはその手法を近年まで持ち続けました。アイヌが文字に触れる機会は沢山あったのですが、自らの意志で文字の使用を拒絶していました。昔のアイヌの語り部は一時間以上もかかるアイヌの民話を一言一句間違わずに暗唱で来たし、稗田阿礼は古事記全てを暗唱している超人的な記憶力もった縄文人であったのです。

古武術の中で今でも口伝の流派が存在します。その先生のお話によると「武術において記述して憶えることは出来ない」と言っています。文字伝達は不完全だと言うことです。

しかしその縄文人も、そこを永住地とはしない海外各地で文明を起こし伝える時には文字を使いました。それが神代文字であり、キープ(結び目文字)でした。

長期縄文文明でなぜ文字が定着しなかったのか。それは、文字記録よりも曲や振りを付けて全身を使って口伝で先祖の物語を伝え残した方が、細部まで残せるからなのです。古事記で文字起こしがされるまで、それ以前の先祖の物語は口承で守り伝えて来たのです。

アイヌはその手法を近年まで持ち続けました。アイヌが文字に触れる機会は沢山あったのですが、自らの意志で文字の使用を拒絶していました。昔のアイヌの語り部は一時間以上もかかるアイヌの民話を一言一句間違わずに暗唱で来たし、稗田阿礼は古事記全てを暗唱している超人的な記憶力もった縄文人であったのです。

古武術の中で今でも口伝の流派が存在します。その先生のお話によると「武術において記述して憶えることは出来ない」と言っています。文字伝達は不完全だと言うことです。

しかしその縄文人も、そこを永住地とはしない海外各地で文明を起こし伝える時には文字を使いました。それが神代文字であり、キープ(結び目文字)でした。

神代文字から漢字が作られた

神代文字から漢字が作られた

神代文字から作られた漢字の一例

漢字は記号の組み合わせで創られていますが、その記号は中国では見つかっていません。実は上記のように、日本の神代文字こそがその記号なのであり、漢字の起源は日本なのです。

また、カタカナは漢字の一部を使って生まれた、と思われていますがそれは逆であり、カタカナは神代文字の記号がベースになっており、その組み合わせで漢字が成り立っている、というのが真実です。

神代文字には40弱の種類があり、漢字に限らず、世界の全ての文字の起源は日本の神代文字なのです。

漢字は記号の組み合わせで創られていますが、その記号は中国では見つかっていません。実は上記のように、日本の神代文字こそがその記号なのであり、漢字の起源は日本なのです。

また、カタカナは漢字の一部を使って生まれた、と思われていますがそれは逆であり、カタカナは神代文字の記号がベースになっており、その組み合わせで漢字が成り立っている、というのが真実です。

神代文字には40弱の種類があり、漢字に限らず、世界の全ての文字の起源は日本の神代文字なのです。

間違い5:異民族の渡来人が水稲と土器を携え大勢やって来て縄文人と入れ替わり、弥生時代が始まった

間違い5:異民族の渡来人が水稲と土器を携え大勢やって来て縄文人と入れ替わり、弥生時代が始まった

真実:縄文人の中で水稲栽培を生業とする者達が現れたことで弥生時代が始まった

水稲渡来時に大勢の渡来人は来ていない

渡来人が大勢来て縄文人との混血が始まったのはその1220年後

水稲渡来時に大勢の渡来人は来ていない

渡来人が大勢来て縄文人との混血が始まったのはその1220年後

弥生時代が始まってから長い期間、渡来人は来ていない

水稲栽培の始まりで弥生時代が始まったとされる3,000年前から、ヤマト王権が帰化人を多量に受け入れ始めた1,780年前(紀元240年)までの、少なくとも1,220年間は混血が起きていません。それは1,780年前まで日本列島に居たのは縄文人だけだったからです。

そのことは弥生人の骨の核DNA分析で明確になっています。上図の赤線で示したように、今まで分析された弥生人のDNAの位置は縄文人から本州人の位置に収まっており、縄文人の位置にいるものまで存在するのです。弥生人と言われる人に大陸のDNAは一切含まれていないのです。

水稲栽培の始まりで弥生時代が始まったとされる3,000年前から、ヤマト王権が帰化人を多量に受け入れ始めた1,780年前(紀元240年)までの、少なくとも1,220年間は混血が起きていません。それは1,780年前まで日本列島に居たのは縄文人だけだったからです。

そのことは弥生人の骨の核DNA分析で明確になっています。上図の赤線で示したように、今まで分析された弥生人のDNAの位置は縄文人から本州人の位置に収まっており、縄文人の位置にいるものまで存在するのです。弥生人と言われる人に大陸のDNAは一切含まれていないのです。

水稲渡来を契機に2集団に分かれた

①水稲を生業とする縄文人 「大和民族」と

②今までの生き方を続ける縄文人 「蝦夷」

水稲渡来を契機に

①水稲を生業とする縄文人 「大和民族」と

②今までの生き方を続ける縄文人 「蝦夷」と

の2集団に分かれた

弥生時代が始まってから1300年間、渡来人は来ていない。居たのは縄文人だけ

弥生時代の始まりにおいては、同じ縄文人でありながら、縄文的な暮らしを守ろうとしていた人達「蝦夷」と、新しい文化を受け入れた人達「大和民族」が2手に分かれ共存していましたが、水田の拡大で蝦夷の生活の場の破壊が進むにつれ、両者の間で争いが生ずるようになりました。しかし最終的には神武(これも縄文人) 東征によって蝦夷は敗れ、大和民族はヤマト王権を成立させます。

1780年前(紀元240年)頃からヤマト王権が朝鮮半島から次々と帰化してくる渡来人を受け入れ、異民族との混血が始まったのです。

このような経緯から、弥生時代は無かったと主張する専門家もいます。

弥生時代の始まりにおいては、同じ縄文人でありながら、縄文的な暮らしを守ろうとしていた人達「蝦夷」と、新しい文化を受け入れた人達「大和民族」が2手に分かれ共存していましたが、水田の拡大で蝦夷の生活の場の破壊が進むにつれ、両者の間で争いが生ずるようになりました。しかし最終的には神武(これも縄文人)東征によって蝦夷は敗れ、大和民族はヤマト王権を成立させます。

1780年前(紀元240年)頃からヤマト王権が朝鮮半島から次々と帰化してくる渡来人を受け入れ、異民族との混血が始まったのです。

このような経緯から、弥生時代は無かったと主張する専門家もいます。

弥生時代の縄文人の状況

弥生時代の縄文人の状況

水田の広がりと共に縄文人同士の争いが各地で起きた

蝦夷は日本各地で大きな部族を構成しており、各々が大和民族と争っている、それが邪馬台国がどこか論争の原因になっている。

蝦夷(夷)とは、東北・北海道にいた縄文性を強く残した人々を指しますが、南方では熊襲や隼人も蝦夷です。いずれも入墨や抜歯という風習を持っています。また、 ヤマト王権と戦ったとされる邪馬台国(正式には邪馬壹国:ヤマト国)も蝦夷です。

水田を作ると言うことは、それまでの狩猟採取生活の場であった森林を切り倒すと言うことであり、伐採してしまえば後戻り出来ない。それを蝦夷から見れば、大和民族のやることは自分達の生活の場を破壊する行為であったのです。

蝦夷は日本各地で大きな部族を構成しており、各々が大和民族と争っている、それが邪馬台国がどこか論争の原因になっている。

蝦夷(夷)とは、東北・北海道にいた縄文性を強く残した人々を指しますが、南方では熊襲や隼人も蝦夷です。いずれも入墨や抜歯という風習を持っています。また、 ヤマト王権と戦ったとされる邪馬台国(正式には邪馬壹国:ヤマト国)も蝦夷です。

水田を作ると言うことは、それまでの狩猟採取生活の場であった森林を切り倒すと言うことであり、伐採してしまえば後戻り出来ない。それを蝦夷から見れば、大和民族のやることは自分達の生活の場を破壊する行為であったのです。

縄文人と弥生人が同じ民族であることが古事記に書かれている

縄文人と弥生人が同じ民族であることが古事記に書かれている

縄文と弥生の闘い

古事記のスサノオに関する記述は真実です。

「アマテラスとスサノオは姉弟であり、スサノオは非常に暴力的であって田んぼの用水路を壊したり、溝を埋めたり・・・」

これは「大和民族のアマテラスと蝦夷のスサノオが姉弟つまり同じ縄文人であること、スサノオは水田反対派の声を代表して水田を荒しまわったこと」を、表現を変えて明確に描いています。

古事記のスサノオに関する記述は真実です。

「アマテラスとスサノオは姉弟であり、スサノオは非常に暴力的であって田んぼの用水路を壊したり、溝を埋めたり・・・」

これは「大和民族のアマテラスと蝦夷のスサノオが姉弟つまり同じ縄文人であること、スサノオは水田反対派の声を代表して水田を荒しまわったこと」を、表現を変えて明確に描いています。

間違い6:顔立ちから見ても弥生人は縄文人とは異民族である

間違い6:顔立ちから見ても弥生人は縄文人とは異民族である

真実:弥生人は縄文人が変遷した姿であり、同じ民族である

弥生人は縄文人の変遷した姿

右図は皆さんが知っている通り、現代人の顔立ちの変化です。たった50年でこの変化が起きているのです。

一方、縄文から弥生まで約1000年強の時間があります。左図の顔立ちの変化以外にも、縄文人は長脛彦の名の通り手足が長いが弥生人は胴長です。

弥生人は今までの「固い種子や消化の良い魚や肉が中心」から「米中心」の食事に変わり、噛む力がそれ程必要なくなり、かつ米をゆっくり消化するために腸が長くなり胴長になりました。また生活の変化も大きな影響を与えているはずです。

これは自然な変化であって、2つは決して別の民族では無いのです。

右図は皆さんが知っている通り、現代人の顔立ちの変化です。たった50年でこの変化が起きているのです。

一方、縄文から弥生まで約1000年強の時間があります。左図の顔立ちの変化以外にも、縄文人は長脛彦の名の通り手足が長いが弥生人は胴長です。

弥生人は今までの「固い種子や消化の良い魚や肉が中心」から「米中心」の食事に変わり、噛む力がそれ程必要なくなり、かつ米をゆっくり消化するために腸が長くなり胴長になりました。また生活の変化も大きな影響を与えているはずです。

これは自然な変化であって、2つは決して別の民族では無いのです。

間違い7:弥生土器は弥生人が持ち込んだもので縄文土器と異なる

間違い7:弥生土器は弥生人が持ち込んだもので縄文土器と異なる

真実:弥生土器は縄文土器が変遷したものであり、同じもの

弥生土器は縄文土器の変遷した姿

弥生土器は縄文土器に比べてシンプルなデザインをしており一見別物に見えるのでそれらを造ったのも別民族である、と勘違いしてしまいがちですが、専門的に見れば、縄文土器から弥生土器には技術的連続性があり専門家でもどこで区切るのか判断が付かないそうです。

つまり、弥生土器は縄文土器の変遷の結果であり、決して今まで言われていたような「異民族の渡来人が縄文と別の土器を持ってやって来た」訳ではないのです。

では、縄文と弥生の土器の区別はどうやっているのか。何と、その土器が出土した場所で稲作をやっていれば弥生土器と分類するのです。従って全く同じ土器であっても弥生と縄文に分かれることもあります、つまり土器自体では分類が出来ないと言うことなのです。

弥生土器は縄文土器に比べてシンプルなデザインをしており一見別物に見えるのでそれらを造ったのも別民族である、と勘違いしてしまいがちですが、専門的に見れば、縄文土器から弥生土器には技術的連続性があり専門家でもどこで区切るのか判断が付かないそうです。

つまり、弥生土器は縄文土器の変遷の結果であり、決して今まで言われていたような「異民族の渡来人が縄文と別の土器を持ってやって来た」訳ではないのです。

では、縄文と弥生の土器の区別はどうやっているのか。何と、その土器が出土した場所で稲作をやっていれば弥生土器と分類するのです。従って全く同じ土器であっても弥生と縄文に分かれることもあります、つまり土器自体では分類が出来ないと言うことなのです。

水稲到来の頃から日本にカバールが影響を与え始めた

水稲到来の頃から日本にカバールが影響を与え始めた

カバールが縄文ワンネス世界を崩壊させた

カバールは、数千年をかけて少しずつ縄文人にカバールの血を入れて来ました。その結果、水稲が来る頃には縄文人が持っていた超感覚が薄まって来て、上とつながらなくなっていました。

そして水稲導入時に本格的に関わって来ました。水稲を入れることで縄文人の間で争いが起きるように画策し、今までのワンネスの生き方を崩壊させたのです。

機が熟した頃に、一斉に大陸から移住者を入れて来ました。その時、土地を所有制にすることから始めて、徐々に人々に所有と言う概念を入れて行きました。その結果、貧富の差が出来、日本は争いの世界へと変貌して行きました。

そして第二代綏靖天皇の時から天皇家にレプテリアン変身体を入れ込んで、本格的な干渉を始めたのです。

カバールは、数千年をかけて少しずつ縄文人にカバールの血を入れて来ました。その結果、水稲が来る頃には縄文人が持っていた超感覚が薄まって来て、上とつながらなくなっていました。

そして水稲導入時に本格的に関わって来ました。水稲を入れることで縄文人の間で争いが起きるように画策し、今までのワンネスの生き方を崩壊させたのです。

機が熟した頃に、一斉に大陸から移住者を入れて来ました。その時、土地を所有制にすることから始めて、徐々に人々に所有と言う概念を入れて行きました。その結果、貧富の差が出来、日本は争いの世界へと変貌して行きました。

そして第二代綏靖すいぜい天皇の時から天皇家にレプテリアン変身体を入れ込んで、本格的な干渉を始めたのです。

間違い8:アイヌ語は日本語とは別の言葉

間違い8:アイヌ語は日本語とは別の言葉

真実:アイヌ語は日本語の祖先と同じ縄文語、日本語は縄文語が大きく変化して出来たもの
基本語彙近似性比較という科学的手法があります。その手法を使い

「手・目・耳・山・川・月・日・鳥・犬・葉・根」といった変化しにくい基本語彙200語を比較して、世界約50の言語と比較した結果、日本語と一番よく一致する言語は飛びぬけてアイヌ語でした。つまり、日本全土で古来から縄文語が話されていて、それを使い続けたのがアイヌであり、それを進化発展?させたのが日本語なのです。そして当然ながらアイヌ語と日本語の語順は同じです。

ちょっとまって! アイヌ語は全くの外国語としか聞こえないが!と言いたいあなた、津軽弁を聞いたことはありませんか? 隣の秋田県出身の私でさえ、聞いてもまったく意味が解らず、外国語としか思えませんでした。言葉の変化とはそのようなものなのです。

基本語彙近似性比較という科学的手法があります。その手法を使い

「手・目・耳・山・川・月・日・鳥・犬・葉・根」といった変化しにくい基本語彙200語を比較して、世界約50の言語と比較した結果、日本語と一番よく一致する言語は飛びぬけてアイヌ語でした。つまり、日本全土で古来から縄文語が話されていて、それを使い続けたのがアイヌであり、それを進化発展?させたのが日本語なのです。そして当然ながらアイヌ語と日本語の語順は同じです。

ちょっとまって! アイヌ語は全くの外国語としか聞こえないが!と言いたいあなた、津軽弁を聞いたことはありませんか? 隣の秋田県出身の私でさえ、聞いてもまったく意味が解らず、外国語としか思えませんでした。言葉の変化とはそのようなものなのです。

⑩アイヌ語と津軽弁

アイヌ語を日本語とは別言語だと思っている人が大半ですが、アイヌ語が原初の日本語(縄文語)であって、今の日本語はそれから変化した姿なのです。

その納得のために、アイヌ語と津軽弁を聞いて頂きます。

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