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ヒトラーの権力掌握におけるバチカンの役割
第二次世界大戦は、現代史において最も複雑かつ論争の的となる時代の一つであることに変わりありません。第二次世界大戦では、軍事的な戦いとホロコーストに焦点が当てられることが大半ですが、ナチス・ドイツの台頭を促した政治同盟は見過ごされがちです。 こうした同盟関係のひとつに、特に1933年にアドルフ・ヒトラーがドイツの首相に就任した際のバチカン内の有力者による支援がありました。 マルタ騎士団の騎士であり、カトリック・センター党の党員でもあったフランツ・フォン・パーペンは、ナチスがドイツ議会で政治的権力を確保する上で重要な役割を果たしました。1933年、バチカンはヒトラー政権とコンコルダート(政教条約)を締結し、フォン・パーペンと、後に教皇ピウス12世となる枢機卿国務長官オイゲニア・パチェッリが条約に署名しました。この合意により、バチカンとナチス政権との物議を醸す関係が始まり、それは戦争中ずっと続きました。
ナチス政策に対するカトリックの支持
アドルフ・ヒトラーのカトリック信者としての背景は、彼の生涯を語る際によく無視されます。敬虔なローマ・カトリック信者であったアロイスとクララ・ヒトラーの間に生まれたアドルフは、リンツ大聖堂でカトリックの洗礼を受けました。ヒトラーに独裁権限を付与した「権限付与法」は、ローマ・カトリックの司祭であり、中道政党「キリスト教民主同盟」の党員であったルートヴィヒ・カースのような著名なカトリック指導者たちによって支持されました。カースはパチェッリ枢機卿の盟友であり、プロテスタントを基盤とするワイマール共和国を弱体化させるヒトラーの権力強化を支援する上で重要な役割を担いました。この支援は孤立したものではありませんでした。イエズス会で教育を受けた人物を含む他のカトリック指導者たちも、ヒトラー政権の権威主義的な性質に感銘を受け、それはカトリック教会の階層構造を反映するものでした。
バチカンとナチスドイツのコンコルダート
教皇ピウス11世がナチス・ドイツに反対する可能性は、バチカン内の主要人物によって阻まれました。教皇は回勅「Humani Generis Unitas(人類の統一)」を発行する準備を進めており、この回勅はナチスの人種差別を非難し、ユダヤ教の教えに対してカトリックの教義を擁護する内容となるはずでした。しかし、この非難が実行される前に、1939年にピウス11世が急逝しました。後継者のピウス12世は、ヒトラーとのコンコルダートを破棄することも、ナチス指導者の破門も行いませんでした。これは、政権による残虐行為の証拠が次々と明らかになっていたにもかかわらずです。この決定により、戦争中のバチカンの姿勢に対する批判が広く巻き起こりました。
ナチス親衛隊に対するイエズス会の影響
カトリック教会とナチスとの最も不穏なつながりのひとつは、SSの創設にある。SSのトップであったハインリヒ・ヒムラーは、この組織をイエズス会にならって作りました。ナチスの防諜部長であったヴァルター・シェレンベルクによると、ヒムラーはイエズス会の創設者イグナティウス・ロヨラが定めた組織構造と原則を忠実に守っていたとのことです。SSは厳格な服従を基本としており、イエズス会の軍隊スタイルの規律と同様に、命令は問答無用で実行されなければなりませんでした。SSの階層構造はカトリック教会のそれと類似しており、ヒムラーの「親衛隊全国指導者」という役職はイエズス会の総長に相当するものでした。カトリック、特にイエズス会の影響は、ナチスのイデオロギーの形成やSSの残忍な効率性の中に見て取ることができます。
歴史の暗黒の1ページ
バチカンによる支援、イエズス会の影響、ナチスの政策が複雑に絡み合うことで、歴史上最も破壊的な政権の台頭を可能にした宗教団体の役割について、問題となる疑問が生じています。バチカンとカトリックの指導者たちは、これらの関連性からしばしば距離を置くものの、歴史的な記録は、第二次世界大戦に至るまでの出来事や、その最中の出来事への積極的な関与と加担を物語っています。 ヒトラー、ムッソリーニ、フランコとバチカンとの関係は、政治的混乱の時期に宗教団体が行使しうる権力の大きさを示すものであり、また、これらの同盟関係が世界史に与えた永続的な影響を思い起こさせるものです。



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