目覚めとその後:第3章

8. 目覚めの影響

目覚めが与える影響

精神、感情、実在の各々のレベルに影響を与えます

先ず、最初の目覚めで体験した状態にしがみつかないことが重要です。

最初の体験が自分にとって余りにもすごいと感じられ、強烈であればある程それにしたみつこうとする傾向が強くなりますが、いま目覚めの旅が始まったばかりなのです。

それは完成するまで長い時間を要する旅でもあります。

悟りは多くの人たちが考えているものとは違います。

その違うことに対して不安を持たないことも重要です。

目覚めが、精神レベル(マインドレベル)、感情レベル(ハートレベル)、実在レベル(腹レベル)にどう影響するかを、これから解説していきます。

精神レベル(マインドレベル)での目覚め

分離意識が作り出す全世界感の崩壊が進みます

あらゆることがマインドから始まり、マインドからの思考が行動を通じて現象化されます。

マインドそのものは何の現実も持ち得ない、単なる道具ですが、マインドが作り出す自己イメージが現実として認識されるように変化し、マインドは道具の状態から現実を侵害するものに変わってしまいました。

しかしマインドが作り出す分離意識(自己感覚)は本当は何の現実も持っていないのです。

現実とはあるがままなのですが、それを否定し、非難し、そうあるべきでないという何かをマインドの中に持つや否や、私たちは分離を感じるのです。

現実と言い争うべきどんな正当化された理由も存在しません。

争うことは、苦しみの原因そのものです。

私たちのマインドは自分自身を屈辱くつじょくされることが可能な者」としてイメージしています。

そして誰かが不親切なことを言うと、マインドが作り上げた自己はすぐ対立と苦痛と苦しみの中に入り、私たちは不安を感じます。

私たちの自己感覚はそんなにも簡単に傷付けられるのです。

マインドレベルでの目覚めとは、分離意識が作り出す全世界観の崩壊です。

「自分が世界を見てきたやり方は、完全なるでっち上げで、まさに夢であった。自分自身もでっちあげだ」と体得することです。

精神レベルの完全な開放は、最初の目覚めで徹底的に起きるものではありません。

思考構造の崩壊はその後もしばらくは続きます。

感情レベル(ハートレベル)での目覚め

自分が全体性であることへの認識が進み、無条件の愛が流れ出します

「私が怒っている」と感じるのは、怒りが来た瞬間に怒りの感情と融合して自己感覚(分離感覚)が引き出されるためですが、その自己感覚は幻想です。

感情レベルでの目覚めとは「自分が感じるものの中から自己感覚を引き出さない」ことです。このレベルで目覚めると、ハートが開きます。

実は、自己感覚は思考と感情の融合から引き出されます。

私たちの感情センターであるハートは、思考という概念を非常に現実的な生きたものとして感じられる感情という感覚へ変えてしまうのです(巻末付録98頁~103頁参照)。

そこで幻想を見抜くには、分離状態から認識する否定的感情(怒り・恐れ・非難)の背後にある思考を突き止め、その思考が真実かどうか問いかける必要があります。

そうして、その感情が真実でないことを理解するのです。

否定的感情の代表である「恐れ」は、自分を分離した個人と感じるところから発生します。

自分が生の全体性であることを認識すると、もはや恐れは無くなります。

そして無防備状態で自分を経験できるようになります。

すると無条件の愛が自然に流れます。

あらゆるものを自分自身として見る、それが無条件の誕生となります。

実在レベル(腹レベル)での目覚め

完全なるゆだねが起こります

魂が肉体に入るとき、それはショックとして経験されます。

つまり制限のない魂の状態から制限された体の中へ突然の移行は意識にとってショックであり、それは腹の真ん中で掴んだり収縮したりする「握り締め感覚」として知覚されます。

その感覚が呼び覚まされる都度、制限つまり分離意識が強化されます。

これは人間にとって最も原始的な分離意識です。

それは生きていく過程で遭遇する様々なショック体験によって強化されます。

不快なものであるこの握り締めをエゴは取り除こうとしますが、取り除こうとする行為が逆にリアリティを与え、それを支えるのです。

実在レベルでの目覚めとは、制限のショックから引き出される握り締め感覚からの解放です。

この解放には、自分は何もできないという気付きが最も重要です。

出来ないことを自分に許すこと。

実在レベルの握り締めを手放すとき、自分がこれから死ぬように感じられるかもしれません。

しかし、真実に進んで死ぬときのみ、その握り締めは解放されるのです。

9. 目覚めの原動力

「混乱と幻滅」が目覚めの原動力

2012年末に向かって加速している「混乱と幻滅」は、目覚めに必要なもの

私たちが何かに対して混乱と幻滅げんめつを感じる時、それはマインドが機能しなくなっていることであり、自分の意志が終わりに来つつあることを意味しています。

そこに来て初めて意識の変容が起きるのです。

実は個人的思考の底流には、常にシンプルなワンネス意識の流れがあるのです。上層の個人的思考/分離意識が混乱しそれが大きく波打つことで、初めて底流のワンネス意識が見えてきます。

そして自分の今までの思考が壊れた時、全く別の力が自分のシステムに突入し、新しいシステムが機能し始めます。

10. 目覚めるために必要なこと

目覚めの責任は自分に有ることを肝に銘ずる

他人に依存している限り、目覚めは来ません

目覚めにおいて、自分が何をしたら良いのか、誰かに言ってもらいたいと思っている人があまりにも多過ぎます。

自分の人生に自分が責任を持つ必要があり、悟りはその最大のイベントです。

悟った先たちの恩恵に乗って悟ることは決して出来ません。

ディクシャは悟りを促すエネルギー伝授手法ですが、そのエネルギーを受け取るかどうかを判断しているのは、あくまでも自分自身(のハイヤーセルフ)です。

決して強引に入れている訳ではないのです。

困難で苦痛な体験を避けないこと

困難とは、荒々しい形の恩寵です

多くの場合、私たちを目覚めさせるには、困難な状況が必要なのです(ワンネス・次元上昇へ430頁参照)。

困難な時期にこそ、私たちは意識上の最大の飛躍をします。

つまり困難とは、恩寵おんちょうの荒々しい形態です。

しかし皮肉なことに大抵の人間は、苦痛な状況を避けて自分の人生を過ごしています。

そうして目覚めのチャンスをみすみす逃しているのです。

目覚めには手放しが最良の方法

進んで自分の世界を失う必要があります

手放しの地点に到達するのに努力が必要かもしれません。

しかし究極的には分離した自己の幻想を、そして世界はこうであり、こうあるべきだと私たちが考えていることを手放すことです。

進んで自分の世界を失う必要があります。

自分にとって手放すとは何を意味するのか、何を手放す必要があるのかは、私たち1人1人が発見しなければなりません。

そしてそれが簡単か困難かは解りません。

11. 初めての目覚めの後に必要なこと

優越感に酔わないこと

「目覚めを体験した人が周りに放つ優越感ゆうえつかん」ほど不愉快なものはありません

目覚めの後にエゴ的マインドが入ってきて、まるで目覚めのせいで自分が他人よりも偉くなったかのように感じ始めます。

「自分は知っている、自分は目覚めたので正しい」という思い込み。

「自分が悟っていることを知ってほしい」という思い。

これが「悟ったエゴ」と呼ばれるものであり、周りにとってこれほど不愉快なものはありません。

これは、エゴが目覚めのエネルギーと覚醒かくせいの一部を使って、新しいエゴを構築しようとしているものです。

自分に誠実さがあれば、マインドが隠れるために洞察どうさつを使っていることを認識できます。

目覚めを目指す全員が「優越感、目覚めていないと自分が思う人たちへの軽蔑けいべつ感」を感じていないかどうか、眺める必要があります。

しかし、その優越感に気付いたら、それを押しやろうとしてはいけません。

そこに留まってありのままを見れば、それは消滅しょうめつします。

逆に抵抗すればそれはしつこく残ります。

そしてこれはプロセスの自然な一部であることも理解しておく必要があります。

(余談)人類の救済者の袋小路に入る罠

エゴが膨らむことで目覚めの深化が阻害されます

目覚めを体験した自分自身を人類の救済者(悟った自分は人類の救済者にならなければならない)と見なしたり、自分の教えを今までの最高の教えと見なしたり始めるかもしれませんが、私たちの誰も人類の救済者ではありません。

人間として私たちは皆自分の小さな役割をやっているに過ぎません。

もし誰かがあるがままの自分よりも大きな役割を演じていると考え始めるならば、それはエゴが膨らんで自分を騙し始めているのです。

そしてそれから抜け出すのは大変困難です。

自分の見た真実を他人に押し付けないこと

自分の見た真実を深めることが優先事項です

真実(ワンネス)の認識は、他人に与える(それは必要ではありますが)よりも先ず自分に向ける必要があります。

自分の見た真実を他人に押し付けようとすると、その行為そのものが、自分の見た真実を他人に押し付けようとすると、その行為そのものが、自分が真実を深めることから引き離すのです。

まず始めるべきは、自分自身に対して誠実であるということです。

もしあなたが自分自身に誠実であることが出来れば、その時にはどんな人に対しても誠実であることができます。

自分に徹底的に正直であること

自分に内在する真実(ワンネス)を深く認識するために必要です

正直になるためには、シンプルなことから始めると良いでしょう。

先ず、物事を避けるのを止めることです。

目覚めを体験した人は、今までよりも物事をより深く見ることができるのですが、その一方で葛藤かっとうと幻想を抱えたままである、ということが起きます。

その幻想を見ることは苦痛を伴うかも知れませんが、それに相対しシッカリ見てください。

そうすることでその幻想は解放されます。

真実で無いことを見ることが、それを解消する最高の方法です。

そのうち、見ることと解放されることが自然に、瞬間的になります。

そのためのテクニックは「誠意」です。

私たちは本当に真実を経験したいと思う以上に、真実を欲しいと思う必要があるのです。

分離意識が戻っても失望しないこと

目覚めた後でも幻想はわき起こります

目覚めたなら自分を苦しめるような思考(ワンネス・次元上昇へ277頁~350頁)を持つことは2度とないだろう、というのは誤解であり、幻想はやって来ます。

そしてそれは自然なことだということを知る必要があります。

しかしあなたは確実に深いレベルに移っています。

以前は無意識であったことを見始めるのです。

幻想がわき起こった時にどう対処したら良いのか。

その方法は「それが幻想だと見て捨てる」ただそれだけです。

分離意識が戻ってもその事実を無視しないこと

分離意識が戻るのは自然なことです

目覚めから戻った時によくやることは、その事実から隠れるために「目覚めで得た絶対的見方」にしがみつくことです。

現実にそこに幻想があるのに「幻想を持つ人はいないので。私というものが幻想だ」などとして目の前の現像を否定するのです。

重要なことは、自分が分離意識に戻った事実を無視しないこと。

それは自然であり、大きな問題ではありません。

自然に起こっていることです。

再度自分を分離意識に陥らせた「条件付け」を見てください。

そしてどうやって自分自身がその「条件付け」を形成したのか、過去に起きたことに戻ってその真実を見る必要があります。

嫌な感情が出た時、それを感じ切ること

嫌な感情が抜け落ちるまで90秒間感じ切る必要があります

思考と感情は循環であり、思考が感情を生み、その感情が次の思考を生み出します。

出た嫌な感情を避けてしまってそれを見抜くことをしなければ、それは循環しながら何度でもやって来ます。

この循環を断ち切るには、感情が出た時それが抜け落ちるまでその感情に執着し感じ切ることです。

私たちは幻想を見通すことで、真実を見るようになるのです。

得られたスピリチュアルパワーに夢中にならないこと

夢中になるとプロセスの進行に使われるパワーがそちらへそらされます

目覚めで得られた種々のエネルギー体験を「スゴイ」と感じる人が多いことでしょう。

そして意識がそちらに向かえばそれは益々起こり、益々意識が奪われ、肝心のプロセスの進行へ意識が向かなくなります。

スピリチュアルパワーはスピリチュアルな罠となる可能性があるのです。

そのような新しいレベルのエネルギーに夢中にならないことは重要なことです。

関心を持たずにいれば、私たちの関心はそれが相応しいところへ行くでしょう。

しかもそのスピリチュアルパワーは、皆が目覚めてしまえば当たり前のこととして、誰も特別な関心を向けようとはしなくなるものなのですから。

「無意味感」に行き詰まらないこと

人生は夢であることを無意味ととらえると憂鬱ゆううつ状態になり、行き詰まります

目覚めた観点では、人生は何の意味もないように見えます。

それは本当は途方もなくポジティブな観点なのです。

なぜなら、意味や目的よりも素晴らしい「本質」を見付けたからです。

しかし目覚めた後、マインドは完全に消滅するわけではないので、マインドは目覚めそれ自体をも理解しようとしています。

実は、人生の意味/存在の目的を発見したい、という願望はエゴ的欲望から来ます。

エゴはそれを否定的観点で捉え、無意味さと目的喪失そうしつ感に簡単にとらわれ、落ち込むことがあるのです。

この憂鬱状態に長いこと過ごす人がいます。

エゴの観点から真実を見ることほど、悲惨なことはありません。

悟りは「人生は何の意味もない」という観点からも自由になります。

目覚める時、人生が夢であったことをありのままに観ます。

夢の状態がどうして意味を持ち帰るでしょうか。

自分が生命そのものと感じている時、意味はありません。

そこから切り離されている時のみ、人は意味を求めるのです。

(余談)絶対的視点に固執し現実に目を向けさせなくする罠

自分が演じている夢をシッカリ見ることが出来なくなり、目覚めの深化が停滞します

目覚めで得られた絶対的な視点「誰もいない、エゴは幻想、この世は夢」固執こしつし、現実を否定することは目覚めの深化に問題を生じさせます。

目覚めを進めるためには、自分が演じている夢の状態をしっかり見ることが重要なのですが、そこにおいて絶対的視点を持ち出し、自分のエゴを見ることを退けることは、盲目状態で目覚めを目指すのと一緒です。

しかし、この罠にはまった人をそこから連れ出すのは結構困難な仕事になります。

「観照者の立場」に行き詰まらないこと

観照者に観点が固定されると観照されるものに無関心になり、行き詰まります

目覚めで観照者に観点が固定されると、観照者にのみリアリティを感じ、観照されるものに無関心になります。

観照されるものは確かに夢ではありますが、観照する者とされるものの両方があってこの世界が成立しているのが現実です。

これは本当の覚醒かくせいではありません。

真の目覚めでは、外部の観照者という立場を崩壊させ、観照があらゆるところで、内側でも、外側でも、上でも下でも、同時に起こります。

それは観点から自由になることであり、「観照されているものは観照しているものである」というのが真実です。

これが理解されないと、観照者の立場に行き詰まることになります。

それを解消する最大の要因は、真実でないものをしっかり見ることです。

12. 悟った人の役割

目覚めを求めている人が得た答えを疑うこと

エゴの罠を見抜いて脱出させることです

悟った人の役割は、自分が得た答えを相手に与えることに満足して過ごすことではありません。

自分の答えを他人に与えても何の役にも立たず、その人の答えはその人自身で発見する必要があるのです。

先に悟ったあなたの役割は、悟りを求めている人が得た答えを疑うことです。

その人はエゴの罠にはまって抜け出せないでいるかも知れません。

その罠から脱出させ、自分自身を深く見つめる道に戻してやることです。

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